【八岐大蛇】ヤマタノオロチ3分でわかる伝説

龍(龍神)・その他

ヤマタノオロチについてまとめます。
出雲国にて、素盞嗚尊がいました。

やまたのおろち 八俣大蛇須佐之男命が高天原から 追われて、出雲の肥の河(斐伊川)の上流の鳥髪の地に天降 ったとき、箸が川を流れて来たので、川上に人ありと考え尋 ねて行くと、老翁と老婆が乙女を中に置いて泣いていた。尋ねると二人は国つ神大山津見神の子で、足名椎・手名椎の夫 ” 婦、娘の名は櫛名田比売といい、高志の八俣の大蛇が毎年やってきて翁の娘を食ったので、初めは八乙女めいたのに、今 「ではこの娘一人になってしまったが、今度はこの娘の番であ るということであった。大蛇の形状を訊ねると、目はほうず きのようで、体は一つ、頭と尾はそれぞれ八つあり、身には とけ,ひのき 苔や檜や杉が生え、長さは八つの谷、八つの尾根にもわたる ほどで、腹には常に血がしたたり、爛れているとの由である。 命は娘を櫛に化して髪にさし、沢山の酒槽に酒を満たさせ、 待ち受けるとやがて大蛇が現れる。蛇は槽ごとに頭を入れて 酒を飲み酔い臥した。命は十拳の勁を抜いて、蛇を切り裂い たので、川は血となって流れた。尾を切ったとき刀の刃がか けた。裂いて見ると劾がでてきたので、これを天照大神に献 じた。草薙の姻がこれであるという。のち命は出雲の須賀の 地に宮を建て、比売と婚して住まわれた。以上は『古事記』 の伝えであるが、『日本書記』の伝えでも大体同様である。 この話が、世界に広いペルセウス型の人身御供譚であること は、従来しばしば説かれているが、またこの細部の話根には、 現実の信仰・習俗によって説明される要素が少なくない。娘 の名が一名稲田媛と言われ、稲田をあらわす名であることは、 農耕祭儀より出た神話だからではなかろうか。それは田植に 若い女の死を語る、いわゆる嫁殺し田の伝説と~一脈の関連 を有する。田植儀礼において、田の神に奉仕する女性オナリ は、もと神の嫁としてこれにとつぐ存在と考えられており、 かつては犠牲に捧げられた存在であったのではないかとも説 かれている。稲田媛は田の神サンバイの嫁として、田植歌に歌われる稲鶴姫と同様、オナリの神格化であろう。また田の 神は、出雲のツユジン、阿波祖谷山のオサバイに見られるよ うに、蛇体と考えられている場合が少なくない。八岐大蛇は 須佐之男により「畏き神」と呼ばれ、神酒をもって御饗され る存在であった。すなわちもともと退治される害物ではなく、 祭に臨む豊饒神の姿であり、姫はこれに奉仕する巫女の姿で あった。したがって大蛇とこれを退治する須佐之男とは、元 来同一存在の二重写しに過ぎず、蛇を殺すという話根自体は 後世の説話的歪曲ではないかとも言えよう。しかし蛇を刀で 斬るという話根の背後にも、なんらかの呪術的儀礼の存在を 想定する説もある。京都の鞍馬寺の竹切式は、蛇に見たてた 大竹を、法師が山刀で切る行事であり、高僧が蛇を調伏して、 清水を湧出させたという縁起が附随している。八俣大蛇切断 の話も、そうした儀礼と関係づけることもできょう。蛇の尾 から劾が出る話は、附加的なモチーフであろうが、竜蛇の尾 に糊があるという信仰は、りうずりの伝説にも見られるよう に、古来語られている。出雲の肥の川には、古来砂鉄が多く 出、鍛冶が発達していたから、出雲出自らしい草薙劍の由来 話を、そうした信仰に基づいて、八俣大蛇に結びつけたのか り知れない。

神話伝説 辞典 より