仏教お経「懺悔文」内容全文の読み方・意味をわかりやすく解説

お経・経典・仏典 一覧

懺悔文ざんげもん

我昔所造諸悪業がしゃくしょぞう しょあくごう 
皆由無始貪瞋痴 かいゆむし とんじんち
従身語意之所生 じゅうしんごい ししょしょう
一切我今皆懺悔 いっさいがこん かいさんげ

このサイトでは、仏教お経で釈尊(ブッタ)が何を伝えたくて「懺悔文」を残したのかを意味・読み方・内容全文を解説していきます。

0.仏教「懺悔文」お経 はじめに

日本の仏教では、日常の読経に広く用いられています。

1.仏教「懺悔文」お経とは?

良くない行いに対して、懺悔し悔い改めます。因果を述べています。

懺悔文は華厳経(大方広仏華厳経)四十巻本の普賢行願品にあるが、華厳経六十巻や華厳経八十巻本には存在しない一方で、唐の不空訳の普賢菩薩行願讃では「我曽所作衆罪業 皆由貪欲瞋恚癡 由身口意亦如是 我皆陳説於一切」と訳されている。日本の仏教諸派に於いて、開経偈・三帰依文・誓願(四弘誓願)などと並び、在家檀信徒の日常の読経に広く用いられており、漢文書き下しを読むことも多い。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2.仏教「懺悔文」お経の漢文 全文

懺悔文ざんげもん

我昔所造諸悪業がしゃくしょぞう しょあくごう 
皆由無始貪瞋痴 かいゆむし とんじんち
従身語意之所生 じゅうしんごい ししょしょう
一切我今皆懺悔 いっさいがこん かいさんげ

3.仏教「懺悔文」お経の読み下し文

懺悔文ざんげもん

我昔所造諸悪業がしゃくしょぞう しょあくごう 
我れ昔より造る所の諸(もろもろ)の悪業(あくごう)は、
皆由無始貪瞋痴 かいゆむし とんじんち 
皆な無始(むし)の貪(とん)瞋(じん)痴(ち)に由り、
従身語意之所生 じゅうしんごい ししょしょう 
身(しん)語(ご)意(い)従(よ)り生(しょう)ずる所なり。 
一切我今皆懺悔いっさいが こん かいさん げ 
一切を我れ今[いま]皆な懺悔[さんげ]す。

4.仏教「懺悔文」お経の現代語訳

懺悔文ざんげもん
反省する文

我昔所造諸悪業がしゃくしょぞう しょあくごう 
我れ昔より造る所の諸(もろもろ)の悪業(あくごう)は、
皆由無始貪瞋痴 かいゆむし とんじんち 
皆な無始(むし)の貪(とん)瞋(じん)痴(ち)に由り、
従身語意之所生 じゅうしんごい ししょしょう 
身(しん)語(ご)意(い)従(よ)り生(しょう)ずる所なり。 
一切我今皆懺悔いっさいが こん かいさん げ 
一切を我れ今[いま]皆な懺悔[さんげ]す。

【現代語訳】私が昔からなしてきた様々な悪しき行いは、
すべて始まりもない太古からの貪りと怒りと愚かさを原因として、
身体と言葉と心によってなされたものである。
それら全てを私は今みな懺悔する。

5.仏教「懺悔文」お経の役割

いわゆる「PDCA」のCです。自分の行いへの反省を懺悔文として日常的に取り入れたお経です。

わたしたちの良くない因果がうまれたのは、すべて
三毒(煩悩)とん(必要以上にもとめること)・しん(怒り・憎しみの心)(無知の愚かさ)
が原因です。そしてそれは、
三業体で行った話したこと思ったこと
で生まれたのです。
私は今、反省して改めます。

因果応報による因果を見ていくことになります。
生きていく限り人間は、思いもよらぬことで「怒ったり」「相手を許せなかったり」してしまいす。それに対して、しっかり反省して次につなげるために日頃から氣をつけていきましょう。そんな思いが込められているお経なのでした。

6.仏教「懺悔文」お経のまとめ

お経というと堅苦しいように感じますが、現代とほとんど変わらりません。「どうしたら人類が発展していくのか?」「どうしたら幸福になるのか?」を追求した昔の学問です。
 「文殊の智慧」から学べることは数多くあります。理由は簡単です。「文殊の智慧」は、いいものしか残らないからです。

宇宙の智慧で人類が向上することを目的に今後とも「情報提供」します。

7.仏の教え一覧表・お経一覧

VIEW DETAIR

ライターのプロフィール

アルティメットブロガー
伝説の始まり、アルティメットサイヤ人であることを想起。

目的
未来+αの情報を提供。
現在は、8つのサイトを運営。

1.世界情勢などの情報 妄想屋
2.人生の経験を生かす 自己啓発
3.本のアウトプットの場 千夜選書
4.外国人から教わった 英語の教え
5.建築現場監督の技術 建築トントン
6.無→有「宇宙の真理」 Buddhism
7.自然と人間のあり方 苔丸
8.幸せの波動で繋がる 幸せ掲示板

ここから私の物語の第2幕が始まる。

VIEW DETAIR

生かしていただいて 有難う御座位ます