仏教「倶舎宗」について!教え・歴史・特徴・唱え言葉・お経・主要な寺院・開祖者解説

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このサイトでは、日本仏教における「倶舎宗」について教え・歴史・特徴・唱え言葉・お経・主要な寺院・開祖者を解説します。

0.仏教「倶舎宗」はじめに

「倶舎宗」は、平安仏教・奈良仏教の南都六宗法相宗・倶舎宗・三論宗・成実宗華厳宗・律宗)の一つで、仏教の教示と追求がメインです。今で言う哲学や思想など学問に重きをおいているのが特徴です。


そして、『阿毘達磨倶舍(釋)論あびだつまくしゃろん』によるアビダルマ論典を研究する集団として倶舎宗が興りました。
そのため、この記事でも、主に参考にするのは「阿毘達磨倶舎論」の教えが中心になります。

1.仏教「倶舎宗」教え・歴史・特徴

①仏教「倶舎宗」:『阿毘達磨倶舍(釋)論あびだつまくしゃろん

アビダルマは、”abhi+dharma”です。「対」と「法」に関してです。
もっと訳すと「法に関して、アビダルマの蔵から取り出したもの」です。

①ー1『阿毘達磨倶舍(釋)論あびだつまくしゃろん』の構成

8章の本編+付随1章からなる論です。

界品(かいぼん)
(1)序説
(2)有漏・無漏、有為・無為の説明、蘊・処・界の説明
(3)蘊・処・界についての種々の問題
(4)十八界の分類

根品(こんぼん)
(1)二十ニ根の説明
(2)法と倶生の定則
(3)心所法(五位も参照)の説明
(4)心不相応行法の説明
(5)六因・五果・四因の説明
(6)十二心・二十心の相生の原則

世間品(せけんぼん)
(1)三界・五趣・四生
(2)中有についての論議
(3)十二縁起の解釈
(4)有情に関する種々の問題
(5)器世間の構造とそこに住する有情
(6)世間の消滅変化

業品(ごうぼん)
(1)業の種類
(2)各種の表業・無表業の性質
(3)経典に見える種々の業説
(4)十善業道・十不善業道についての説明
(5)業についての雑多な事項の収録

随眠品(ずいめんぼん)
(1)九十八随眠の理論
(2)九十八随眠の分類的考察
(3)経中に見える諸種の煩悩についての説明
(4)煩悩の断滅

賢聖品(けんしょうぼん)
(1)道についての総論
(2)諦の説明
(3)三賢・四善根
(4)見道・修道についての説明
(5)無学道およびそれに関する種々の事項
(6)諸種の道の説明

智品(ちぼん)
(1)忍と智と見との関係
(2)十智とその形相など
(3)智を自性とする種々な徳

定品(じょうぼん)
(1)徳のよりどころとなる各種の三昧
(2)三昧をよりどころとする種々の徳
(3)総括

付随
1.破我品(はがぼん)
「我」(が)ありとする主張の論破

https://ja.wikipedia.org/wiki/阿毘達磨倶舎論

①ー2『阿毘達磨倶舍(釋)論あびだつまくしゃろん』の内容

主な内容は、因果関係の法則です。は、六因・四縁で、五果に分類します。

六因説
この六因は、諸説ありますが、明確な文言を経典から用いていないと言われていますが、アビダルマにおいて構築されています。
それによると
能作因(のうさいん)
 ある存在(法、ダルマという)が生起するとき少なくともその妨げをしないという点で、他のすべての存在がその存在に対して原因としてのはたらきをもちます。
芽に対する種のような結びつきの強い原因は、能作因であります。
しかし、月が存在することに対してスッポンの存在はとくに影響力もないことから月にとってスッポンは能作因である。
倶有因(くういん)
 因・果が同時に生じ、相互に因となり果となるという同様な関係を持つときの因のこと。たとえば、二枚のトランプをお互いよりかからせて立たせた時に、お互いがお互いの倶有因であり士用果です。
同類因(どうるいいん)
 現在の瞬間と同類の現象が後に果として生じる時の原因のこと。因が善ならば果も善、悪ならば悪、無記ならば無記と、その性質をともにしなくてはならない。例えば、忍耐をしているある瞬間は、忍耐をしている次の瞬間の同類因となる。
相応因(そうおういん)
 倶有因の一種で、心と心作用との間の関係についてのみ用いる。
遍行因(へんぎょういん)
 同類因の特別な場合で、11種の遍行およびそれと相伴う諸法 のことです。
 好ましくない感情や態度が、後の瞬間の好ましくない感情や態度を作り出す時の原因にあたるります。
異熟因(いじゅくいん)
 諸々の善・悪といった(煩悩に関連する)業のこと。
相互に時を隔てた異時点間の因果関係から、楽・苦などの果をもたらす。この果(異熟果)は、善でも悪でもない(「無記」です)ことから、異熟と呼ばれています。

四縁
因果関係の因について、上記の「六因」とは異なる分類のしかたをしたもの。
因縁(いんねん)
 六因のうち、能作因を除く五因(倶有因・同類因・相応因・遍行因・異熟因)をまとめたもの。
等無間縁(とうむけんねん)
 先の瞬間において生起していた心およびそれと相伴う心作用(前念)が過去に過ぎ去り、直後の瞬間に別の心・心作用(後念)が未来から生起し継承する(心相続)という因果関係の因。因と果が必ずしも同類でないことから同類因と区別される。前念と後念が無間(時間的な隔たりがない)であるときの前念をさして、等無間縁という 。次第縁ともいう。六因のなかでは能作因以外の五因のどれにもあたらないから、最も包括的な能作因に入れるほかはないが、能作因の示す弱い因果関係とは異なったものであるため、有力能作因と呼んで区別することもある。
所縁縁(しょえんねん)
 心・心作用の対象(所縁)のことを所縁縁という。(説一切有部では対象のない心はありえないため)心・心作用は所縁がなければ生じないことから、因としては所縁縁となる(果としては、心・心作用そのものが増上果となる)。有力能作因に数えられる。縁縁ともいう。
 例えば「青」い物体は、それが「青」という特性を持っているという眼識を引き起こす。
増上縁(ぞうじょうえん)
 最も広義の縁で、ひろく能作因に相当する。もの・心一般に広く通じる原因であって、結果を望むことができるような縁となるものを総称したもの。他の物事が生ずることを助ける働きをする縁。

五果
増上果(ぞうじょうか)
 六因のうち能作因に、四縁のうち増上縁・等無間縁・所縁縁に対応する果。増上は「力を及ぼすもの」の意。
士用果(じゆうか)
 六因のうち倶有因・相応因に対応する果(四縁のうち因縁の一部に対応)。因と果が時を同じくする関係になっている。士用は「男子の動作」の意で、因の力の強いのをそう例えたもの。
等流果(とうるか)
 六因のうち同類因・遍行因に対応する果(四縁のうち因縁の一部に対応)。等流果は多くの場合自らまた同類因となって次の等流果を生ぜしめ、そこに因果の連鎖が続く。等流とは、因から「流れ出る」の意。
異熟果(いじゅくか)
 六因のうち異熟因に対応する果(四縁のうち因縁の一部に対応)。異熟果は善でも悪でもない「無記」であり、異熟果自体が自ら異熟因となって再び異熟果を生じそこに因果の連鎖をなすことはない。
離繫果(りけか)
 煩悩の止滅(すなわち涅槃)のこと。煩悩は「三世実有」の立場からは、なくなってしまうことはありえない。涅槃は、煩悩の拘束から離れる・解放される(離繫りけことであり、正しい知恵の結果であることから果のひとつと位置づけられる。対応する因・果はない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/阿毘達磨倶舎論

長く書いてありますが、手短に内容をまとめると「因果応報」です。

この陰陽図で例えると、中央が白黒のバランスが良く煩悩にとりつかれないのです。煩悩に取り憑かれると「因果」生まれます。この世界は、三世実有(全ては一瞬の出来事)からはとおく離れていきます。
そのために因果を知りましょう。
は、六因・四縁で、五果あります。このことをしり煩悩の拘束されずにいれば止滅していきます。それが涅槃と呼ばれるものです。そのことを伝えたいようです。

②仏教「倶舎宗」歴史・特徴

中国で玄奘(602年〜664年)が『阿毘達磨倶舍釋論あびだつまくしゃろん』を翻訳し『阿毘達磨倶舍論あびだつまくしゃろん』に再訳しました。そして、玄奘に教わって、道昭が653年に唐に渡って玄奘に謁し、玄奘訳およびに神泰の『倶舎論疏』が日本に伝えられたことから、興福寺・元興寺にて研究が始まりました。
 天平勝宝年間(749年〜757年)には倶舎宗が公に制定し、南都六宗の一つに数えられています。
また、858年、円珍によって、法宝の『倶舎論疏』や円暉の『倶舎論頌釈疏』が日本にもたらされ、比叡山・三井寺・東大寺で再度研究が始まりました。
 徳川中期以降、倶舎学の学僧として、真言宗の周海、法住、快道、海応、信海、旭雅、浄土宗の湛慧、普寂、浄土真宗の法幢、宝雲、法海、竜温、法宣など多くの人物がその内容に魅力されるのでした。

2.仏教「倶舎宗」唱え言葉

南都六宗は、特にありません

3.仏教「倶舎宗」経典・本尊

①経典

特になし

②本尊

特になし

4.仏教「倶舎宗」主な寺院

東大寺・元興寺(南寺)・興福寺(北寺)

5.仏教「倶舎宗」日本での開祖者:道昭?

開祖者は、二つの説があります。
一つは、661年に道昭が招来したもの。
もう一つは、天平勝宝年間の749-757年の東大寺においてだ。
詳しいことは、わかっていないようだ。

6.仏教「倶舎宗」まとめ

南都六宗である倶舎宗は、当時の学問であることがよくわかる宗派でしたね。

「倶舎宗」は、

  • 因果関係の素
  • 今でいう学問

時代背景から読み解くと、今の時代みたいに、何が正しくて何が正しくないのか?わからない時代でした。
そのために「法」をつくり何が正しく何が正しくないのかを僧侶たちは考え教典にしていたのかもしれません。

かたく感じるかも知れませんが、現代とあまり遜色がないように思います。
「因果応報」原因があり結果があります。
全てはその調和の中の一つなのかも知れません。

そのことを突き詰めた宗派でした。

特に言えるのは、この煩悩の解釈です。
数多くの「あれはダメ」「これはダメ」欲に囚われるな「無」になれと
説いているように思うかも知れませんが、実際は人間の垢みたいのものに取り憑かれるな。
といっているように感じます。
その垢がうんと溜まると汚くなって見るに耐え難いのでそのためにどうすれば良いかを説いているようです。。

そもそも欲をなくせというのも欲です。
本当の意味での仏の追求をする、僧侶は現代少なくなったのかも知れません。
昔は、哲学者や思想家に近かった存在が、僧侶だったのが分かる宗派でした。

7.仏教「お寺の一覧表」

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生かして頂いて 有難う御座います

ライターのプロフィール

アルティメットブロガー
伝説の始まり、アルティメットサイヤ人であることを想起。

目的
未来+αの情報を提供。
現在は、8つのサイトを運営。

1.世界情勢などの情報 妄想屋
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3.本のアウトプットの場 千夜選書
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5.建築現場監督の技術 建築トントン
6.無→有「宇宙の真理」 Buddhism
7.自然と人間のあり方 苔丸
8.幸せの波動で繋がる 幸せ掲示板

ここから私の物語の第2幕が始まる。

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