仏教「法相宗」について!教え・歴史・特徴・唱え言葉・お経・主要な寺院・開祖者解説

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このサイトでは、日本仏教における法相宗について「教え・歴史・特徴・唱え言葉・お経・主要な寺院・開祖者」を解説します。

0.仏教「法相宗」はじめに

唯識イメージ図

法相宗は、唯識説=大乗仏教の空(仏教)の思想を基礎に置いています。仏教の教示と追求に重きを置いているため、葬儀や檀家制度がないので、馴染みが少ないかもしれません。

そもそも檀家制度や葬儀ができたのは、江戸時代のキリスト教(ザビエル=イエズス会系)を排除するために設けられた制度です。平安仏教・奈良仏教の南都六宗法相宗・倶舎宗・三論宗・成実宗華厳宗・律宗)は、仏教の教示と追求がメインです。今で言う哲学者や思想家など学問に重きをおいているのが特徴です。

その中で法相宗は、唯識説の考え方を大切にしています。唯識説とは、深層意識には「阿頼耶識(あらやしき)=無意識」と「末那識(まなしき)=意識」があり、「阿頼耶識(あらやしき)=無意識」により世界が生み出していると解釈しています。そして、この無意識「阿頼耶識(あらやしき)=無意識」の世界は、そもそも存在とし「無・空」を追求することを目的に発展をしていきました。

上記の図で説明すると普段は赤の円「末那識(まなしき)」にて、共有しているように考えていますが、自我から離れて「阿頼耶識(あらやしき)」無我行を実践することで「宇宙の真理」を解こうとしました。

以上のような考え方を「唯識無境」と言います。

1.仏教「法相宗」教え・歴史・特徴

①仏教「法相宗」唯識の教え

「末那識(まなしき)」は、自我に執着する心です。
現代では、車が欲しい・綺麗なおねーちゃん最高・もっといい旦那だったら、等々です。

一方、阿頼耶識は、強大な井戸の水のように貯水された溢れ出てくる識です。
この水を蓄えて私たちは、新たなものと変化します。
この阿頼耶識とそこに蓄えられた水によって私たちの普段の「認識や行動」は左右されます。

これをあらわしたわかりやすい、「古歌」があります。

手を打てば はいと答える 鳥逃げる 鯉は集まる 猿沢の池

ある人が、奈良の猿沢池にて手を叩くと
旅館の人は、自分が呼ばれていると思い「はーい」と答えました。
鳩は驚いて逃げていきました。
鯉は餌がもらえると思い集まってきました。
手を叩くと受け取る側阿頼耶識にある水次第で行動が変わります。

このように私たちは、日常の自己から虚妄分別(物事の真相を間違えたまま理解し、判断すること。)して生きています。
そのことを知れば寛容・謙虚に相手を許し、受け入れることができます。
誰しもが自分の執着で「正しい」と思い込んでいるのです。
少し大人の目を見て様々な視点で物事を捉えて考えれば、そんなに囚われずによかったと思えるようになります。それを追求していくと、

はいと答える 鳥逃げる 鯉は集まる

このようなものは、意識だけでそもそも存在しないのではないだろうか?この阿頼耶識の世界が少し垣間見れるのではないでしょうか?実際は、ないから見えないですけどね、、、、

身近で難しい識(こころ)を解き明かそうとするのが、この法相宗の唯識の教えです。

②仏教「法相宗」歴史・特徴

画像wikipedia 参照

中国・隋代に生まれた玄奘三蔵(602-664年)は、中国各地を巡歴しました。
しかし、高僧の意見はそれぞれ異なる説ばかりで、疑問を抱くようになりました。
そこで、インドで天竺教義の原典を学ぼうと思いました。

当時の中国も出国には、厳しく許可がおりませんでした。
なので、密出国により旅をしましたが、そこでは、
砂漠や山脈や時には盗賊に襲われて四苦八苦しました。
出国から三年くらいの旅を経てようやくナーランダ寺院にたどり着き、
戒賢論師に師事して瑜伽唯識の教えを学びました。

修行をおえ、75部1335巻の仏典を翻訳しました。 
そして、玄奘に師事した道昭が日本の仏教における法相宗として、法興寺で広め
南都六宗の一つとして8-9世紀に隆盛を極めました。

玄奘は、後に「西遊記」に登場する三蔵法師のモデルにもなっている人物です。

2.仏教「法相宗」唱え言葉

法相宗は、教えを解くことが多いため、
唱え言葉はありませんが、般若心経がよく読まれます。
唯識の教えなので、納得ができます。

3.仏教「法相宗」経典・本尊

①経典

瑜伽師地論ゆがしじろん成唯識論じょうゆいしきろん

②本尊

唯識曼荼羅ゆいしきまんだら

4.仏教「法相宗」主な寺院

大本山:興福寺、薬師寺(以前は清水寺も含まれていたが、現在では離脱している)

5.仏教「法相宗」日本での開祖者:道昭

日本で最初に火葬をした人物は、道昭です。火葬の以前は

・墓穴を掘る労力を少なくするため
・死後の世界でも安らかに眠れるように安楽の姿勢をとらせた
・胎児と同じような体勢をとらせて復活を願った
・死者の霊が浮遊しないよう動きにくい体勢にした

だったそうです。道昭と玄奘三蔵に贈られた言葉があります。そこからもわかるように玄奘三蔵は、道昭をとても可愛がっていたことがわかります。

玄奘三蔵に贈られた言葉

画像毎日新聞より(https://mainichi.jp/articles/20180428/ddl/k29/040/582000c)

『続日本紀』には、道昭が没した年の条に、昔、玄奘に贈られた言葉として、いくつか記録が残されている。それによると、玄奘は特に可愛がって同じ部屋に住まわせたとされ、以下のような話をしたとされる。
「私が昔、西域に旅した時、道中飢えに苦しんだが、食を乞う所もなかった。突然一人の僧が現れ、手に持っていた梨の実を私に与えて食べさせてくれた。私はその梨を食べてから気力が日々健やかになった。今お前こそはあの時の梨を与えてくれた法師と同様である」と述べたと記されており、道昭を大切にしていたのは、過去に出会った恩人たる僧侶と道昭を重ねていたためとしている。
「経論は奥深く微妙で、究めつくすことは難しい。それよりお前は禅を学んで、東の国の日本に広めるのがよかろう」と禅の修行をすすめ、道昭はそれを守った。帰朝の際、玄奘から舎利と経論を授けられ、また、西域を旅した際に手に入れた霊験あらたかな鍋を与えた(『論語』から引用して、「道を弘める」という言葉も贈っている)。この鍋で病人に食を与えて治療したが、帰路の船上において、なかなか船が進まないのは海神竜王が鍋を欲しているからだといわれ、「玄奘から与えられた鍋をどうして竜王が欲するのだ」と文句を言いながらも、やむなく海中に投げ入れている(そのため、鍋については現存していない)。

道昭のしたことは、引用しておきます。

法相宗大本山 薬師寺 より

法相宗の日本への伝来は飛鳥時代にさかのぼります。653年に入唐した遣唐僧 の道昭により伝来しました。
道昭(629-700)は玄奘三蔵に師事し、翻訳間もない『じょう唯識論』をはじめとする唯識の論書や 『薬師瑠璃光如来本願功徳経』や『般若心経』などの経典、さらには仏像や舎利を持ち帰りました。道昭の後には智通・智達、奈良時代には智鳳・智鸞・智雄・玄昉たちが法相宗の教えを伝えました。
日本では多くの僧侶が法相宗を学び、特に奈良・平安・鎌倉時代には隆盛を極め、著名な僧侶を輩出しました。

以上が道昭についてでした。

6.仏教「法相宗」まとめ

  1. 「法相宗」唯識の教え
  2. 「玄奘三蔵」開祖
  3. 道昭が日本に伝えた

以上のことを重点にしました。

南都六宗は、哲学的な側面を持ち、現在の学問に似ていますね。特に「法相宗」唯識の教えは、心理学者ユングが定義した集合的無意識にも似ています。

集合的無意識 (Collective Unconscious)

集合的無意識とは、C.G.ユングが定義した概念です。普遍的無意識ともいいます。
 集合的無意識は個人的無意識より深い層で、人間に生得的に備わっている心の奥底にある無意識をいいます。
 S.フロイトは、心は意識と無意識からなると考えました。ユングは更に、無意識を個人的無意識と集合的無意識の階層構造に区別しました。
 集合的無意識の存在は、無意識を個人的無意識に限定したフロイトとのユングの大きな違いであり、ユング心理学の大きな特徴の1つといえます。

http://rinnsyou.com/archives/293より

もうユングは現代的で深掘りして、夢や宗教説や神話などの共時性をもとにユングさんは追求を実験結果をまとめてします。根っこの部分はあまり変わりがないようです。

以上が法相宗でした。

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